【神話】天照大神の神話1 神様もエゴで苦しんだ。

天照大神(あまてらすおおみかみ)は
日本神話に登場する神様です


天照大神の名前



天照大神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)は
日本神話に登場する神さまです


皇室の祖神で、日本国民の総氏神でもあります


名前の表記


『古事記』 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
『日本書紀』天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)

伊勢神宮 通常は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
     あるいは皇大御神(すめおおみかみ)

その他神社 大日女尊(おおひるめのみこと)
      大日霊(おおひるめ)
      大日女(おおひめ)


天照大神の人物(?)像



家族構成


父:イザナギ
母:イザナミ
※日本書紀でのみ、古事記では誕生に関与していない

弟:ツクヨミ(性別不詳)
弟:スサノオ


配偶者


天照大神の配偶者となると
少し困ってしまいます


なぜなら、天照大神は女性神として神話に描かれている場合と
男性神として神話に描かれている場合があるからです


古事記・日本書紀では女性神として描かれていますが


ホツマツタエでは男性神として描かれ
ちゃんと、奥様までおられるのです(;^ω^)


これには、もろもろの政治的事情や
歴史的背景がふんだんに含まれているので
ここでは渇愛しますが


神話は「事実」を知るためのものではなく
「真実」にたどり着くための道しるべです


なので、究極的には
男神だろうが、女神だろうがどちらでも問題はなく


神話を読み解く人にとって
または、神社参拝に来る人にとって
「真実」を感じられる方を選んでもらえれば
それで良いとも言えるのです


なので、ここでは女性神の場合について
お話ししようと思います


スサノオとの誓約(うけひ)



死んだ母イザナミに会いたい一心で
泣きわめくスサノオは


父イザナギから与えられた役職を果たさずに
泣き暮らしていました


そんなスサノオを見かねた父イザナギは
スサノオにちゃんと国を治めるように言いますが


「お母さん(イザナミ)に会いたい」の一点張りで
一向に聞き入れません


父イザナギ、キレました(笑)
「もー、出ていけ!!根の国(あの世)でもどこへでも行けばいいわ!!」と・・・


家を追い出されたスサノオは
姉のアマテラスに会ってから根の国へ行こうと思い


アマテラスが治める高天原へ昇りました
するとスサノオの勢いで、山川が響動し国土が皆震動したので


アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たと思い
武具を携えて彼を迎えました


スサノオはアマテラスの疑いを解くために
誓約(うけひ)をしようと言いました


二神は天の安河を挟んで誓約を行います


まず、アマテラスがスサノオの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って
噛み砕き、吹き出しました


その息の霧から以下の三柱の女神(宗像三女神)が生まれます


多紀理毘売命 – 別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)。沖津宮に祀られる。

多岐都比売命 – 中津宮に祀られる。

市寸島比売命 – 別名:狭依毘売命(さよりびめ)。辺津宮に祀られる。


次に、スサノオが、アマテラスの「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って
噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の五柱の男神が生まれました


正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)

天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)

天津日子根命(アマツヒコネノミコト)

活津日子根命(イクツヒコネノミコト)

熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)


これによりスサノオは
「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」
と身の潔白を証明した・・・


という神話ですが
これが実は、スサノオとアマテラスの結婚を意味しているという説もあるのです


アマテラスとスサノオは政略結婚だった?



もうね、こんなこと言いだしたら
収集つかないんですが


実は、アマテラスとスサノオは兄弟ではなく
それぞれが、別の国の王と女王だったが
戦争続きの中、和睦のため


夫がいたアマテラスが
離婚してスサノオと政略結婚をして
子供を産んだのが、この誓約(うけひ)神話だったという説もあります


この説をとるのであれば
なんとも切ないですし、神様の世界も
ドロドロだなー・・・(;’∀’)なんて思いますね(笑)


神様は完全無欠な存在ではない



この神話を見れば
夫と引き裂かれたアマテラスと、夫神の切なさやくやしさは
いかほどだっただろうと・・・


また、天照と結婚したスサノオも
そんなアマテラスを見て何を感じていたのだろうと


互いに、何かしらの心に闇を抱えていたのではないかと
思いますよね


この神話の説は、ある偏った説ではあるのですが
それでも、全くない話ではありません


これを見れば、神様と言っても
人間と同じように笑ったり、泣いたり、悲しんだりしていることがわかります


では、何をもって「神様」なのか・・・ですが


鏡に映る姿は、「神」



古神道の奥義の一つに
「御鏡御拝(みかがみぎょはい)」というものがあります


分かりやすくいえば、鏡に映った自分の姿
自分自身を拝む、ということです


自分の霊(みたま)に秘められた神性の部分
本質を自覚し、さらに自分の霊性を高めるための行です


「自分」という「我(エゴ)」を脱ぎ捨てて
神様から頂いたお役目(天命)を思い出して
全うするための、尊い行なのです


神様は、感情や欲望がないわけではありません
エゴがないわけでもありません


ただ、それらのものを抱えながらも
役割に生きることができる・・・のが


神様たるゆえんなのです


人は、どうしても自分を優先してしまいます

自分の善悪で、他人を裁いたり

自分の価値観を押し付けたり

自分の好き嫌い・機嫌で言動を変えたり

自分の損得で、行動を変えたり

勝ち負けにこだわって、周りが見えなくなったり

愛憎で、関係が破綻したり・・・


神様は、これらの「自分の●●」よりも
目の前の誰かのために、自分の●●を後回しにできる人(?)なのです


それも、苦しみながら、悲しみも背負いながら
それでも、なんとかかんとか、やりぬいて
そうやって、徐々に器を大きくしていった


そこに「悲しみ」がなかったわけではありません

そこに「苦しみ」がなかったわけではありません

そこに「ふがいなさ」を感じたことがないわけでもありません

喜びも悲しみも乗り越えながら

何とか、お役目を果たしていったのです


それは、神話を見ればわかります

神様だって、親子の状で苦しみます

神様だって、夫婦間のトラブルに悩みます

神様だって、愛する人との別れはつらいのです


でも、そんな自分(我)を挟まずに
生きる姿はなんとも清々しく、神々しい


鏡(かがみ)に映った自分の姿・・・
そこに「自分(我)」がない姿は


「鏡(かがみ)-「我(が)」=「神(かみ」


鏡に映った自分の姿に「神」を見出すとは
自分の「我(エゴ)」を脱したということです


天照大神も「御鏡御拝(みかがみぎょはい)」をやっていた



じつは、この「御鏡御拝(みかがみぎょはい)」は
神話の中で天照大神もやっていたのです


それは、天岩戸開きの神話に描かれています


岩戸に引きこもった天照大神に戻ってもらうために
八百万の神様たちが集まって
全員で協力して


美しい鏡を作りました
そして、その鏡を岩戸の前に置いて


アメノウズメが踊り
八百万の神々が笑い
みんなでお祭りをしているその様子をうかがったアマテラスの目に


神々しく光り輝いた神が映ります


あまりに神々しいので見とれていると
よく見るとそれは、鏡に映った自分の姿でした


アマテラスも、鏡に映った自分の神性を見出し
これまでの自分のふがいなさや、くやしさを乗り越え
お役目に戻った・・・


というのが、「天岩戸神話」ともいえるのです


神様ですら、完璧ではないのです
神様ですら、悩んでいるのです


という事は、自分にも他人にも
完璧な姿を求める必要なんてないという事です


不完全だからこそ、成長できる
不完全だからこそ、人とつながれる
不完全だからこそ、自分を許せる


完璧であろうとする努力よりも
自分を許し、その悲しみも、くやしさも、ふがいなさも
全部、水に流して見ましょう


お茶の水面は水かがみ
毎日入れるお茶に映る自分の姿は
果たして・・・?






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