日本の伝統行事「節句」
日本には節句という年中行事があります
「節句」をウィキると
節句(せっく)は、中国の陰陽五行説に由来して定着した
日本の暦(「暦」も参照)における、
伝統的な年中行事を行う季節の節目(ふしめ)となる日
と書かれています
「中国の陰陽五行に由来して・・・」
という事は、中国の文化が日本に定着したの?
と、思われるかもしれませんが
これは、半分正解で、半分不正解なのです
確かに、中国からは陰陽五行説という思想が渡ってきましたが
それが渡ってくる前から「節句」の行事は
日本にあったのです
もともと日本にあった「節句」に
さらに、中国から来た陰陽五行説を含めて
新しい「節句」になったものが
今残っている「節句」の形なのです
分かりやすく言うと、インドから渡ってきたカレーが
日本の食べ物と融合して
日本独特のカレーになった
中国から渡ってきたラーメンが
日本独自の形になって、日本に定着してた
宋の時代に中国から渡ってきたお茶の文化が
日本に定着したものが「抹茶(茶道)」
その茶の文化は、今の中国には残っていません
インド人が日本のカレーを食べたら
「これがカレー??」と、インド人もびっくりしますし
中国人が、日本のラーメンを食べても
同じです
外から渡ってきたモノを
日本に一番良い形に改良して残していくのが
日本のお国柄です
なので、節句も同じで
確かに中国から渡ってきたモノではありますが
もともと日本にあった文化と融合して、今の形になっています
日本にもともとあった節句の原型
では、中国から渡ってきた陰陽五行説が
一体何と融合して「節句」となったのか・・・ですが
それは「禊(みそぎ)」です
つまり、浄化の儀式と融合していたのです
日本では昔から季節の変わり目に浄化をする風習がありました
現在では「夏越の大祓」「年越しの大祓」として
年に二回、一年の折り返しと、終わりに
神社で大祓(浄化)をしてもらいますが
それを、もっと細かいスパンでもやっていたのが
陰陽五行思想と融合され
1月、3月、5月、7月、9月の
年に五回、奇数月に行う行事として残りました
人日(じんじつ) 1月7日 七草の節句
七草粥上巳(じょうし) 3月3日 桃の節句・雛祭
菱餅や白酒など端午(たんご) 5月5日 菖蒲の節句
菖蒲酒。菖蒲湯の習俗あり。関東では柏餅、中国や関西ではちまき七夕(しちせき) 7月7日 七夕(たなばた)
裁縫の上達を願い素麺を食べる重陽(ちょうよう)9月9日 菊の節句
菊を浮かべた酒などそれぞれの節句ごとに、食べたり飲んだりするものがあって
それをいただくことで、その季節ごとに払わないといけない邪気を
払うという、儀式でもあるのです
それぞれの節句で食べるもののことを
「御節供」と呼んでいました
節句料理はもともと五節句の祝儀料理全てを指していましたが
のちに最も重要とされる人日の節句の正月料理を指すようになり
現在では「おせち(料理)」として
正月三が日もしくは七日にかけての松の内の期間において食べるものを指すようになりました
ただ、今でも人日の節句の七草粥など
「節句料理」として残っているものもあります
つまりですね、おせち料理は
一年に一回だけではなく、五節句のたびに
食べるものだったのです!!
ゆにわのおせち、毎節句ごとに食べたいものです・・・
一月の節句は人日(じんじつ)の節句
節句と言えば、桃の節句や端午の節句を思い出します
むしろ、一月に節句なんてあったの??
と思われる方もいるかもしれませんが
お正月に主役を奪われつつも
一月にもちゃんと節句があります(笑)
1月7日 人日の節句です
ほかの節句は月と日が同じなので
(3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)
覚えやすいですが、ここだけ違うので
余計にわかりにくいのかもしれません
では、1月7日人日の節句とは
一体どういう節句なのかというと
ウィキるとこのようにあります
↓ ↓ ↓
人日(じんじつ)とは、五節句の一つ
1月7日。七草がゆを食べることから七草の節句ともいう
また、霊辰(れいしん)ともいう
この日は新年になって初めて爪を切る日ともされ
七種を浸した水に爪をつけて、柔かくしてから切ると
その年は風邪をひかないと言われている
今残っている形の中に
本来の人日の節句の意味が隠れています
人日の節句に隠れた神話の秘密
まず、最初に人日の節句の別名を見てみると
「霊辰」(れいしん)」とあります
これを漢字の意味で読み解くと
「霊」は、そのままですね
魂と言い換えてもいいですが
「辰」という漢字は
天体(日・月・星)の総称でもありますし
「辰」一文字で、『元気に振う』、『柔らかく動く』という意味もあります
つまり、新しく天体が動き始める・・・といったニュアンスでしょうか
一年の始まりにはぴったりの意味合いですが
さらに、この日は一年で最初に爪を切る日とあります
この、爪を切るという事にも
深い意味があります
日本神話の中にも
爪を切るシーンがあります
それは、高天原で暴れまくったスサノオが
お目の岩戸開きの後、罰として
両手両足の爪を切り、ひげをそられて
高天原から追放されるというシーンです
このシーンで爪とひげをそるのは
「新しく生まれ変わる」ための儀式として
爪とひげを切られたという事で
見せしめではありません
身なりを整えているわけですから(笑)
過去の罪穢れを爪とひげを切ることで
自分のみからそぎ落とす・・・禊としての
爪切りなのです
爪を切って、ひげをそって
過去の色々を清算して、新しい自分の体で
新しい年をお迎えする
そういう儀式としての爪を切る日
人が新しい一年を迎えるスタートの日
魂がのびのび元気に輝く日
それが人日の節句の隠れた意味です
人日の節句を迎えるお茶を飲む
という事で、人日の節句を
設えて、お茶をいただきましょう
新しくなった自分の輝く魂をお迎えするつもりで
お茶の席を設えて、心静かにお茶を入れましょう
去年までのいざこざや、もろもろは
全部水に流して
新しい自分の一年が始まります♪
あけましておめでとうございます。
スサノオの神様が高天原から追放されたとき爪をはがされひげをぬかれ
と、神様の世界はなんと残酷なんだと思っていました。
あらたに知ったことで一つまた気持ちが晴れました。
「まねっここじき」
人のまねは人のものを取って
小学生のときにいわれてから
まねをするのにどこか抵抗がありましたが
これもまた新たな気持ちで向き合えそうです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
神話はそのまま読んだら残酷だと感じることもありますが、
実はその背景には深い意味が隠されていることが多いです。
その逆で、童話などは、一見かわいく描かれていても
じつはものすごく残酷だったりしますので、
やはり、何を読むにしても、その行間に隠された意図(想い)を感じる感性が必要だと教えられますね。
今年もよろしくお願いいたしますm(__)m
こがみのり