熱力学、統計力学、情報理論など様々な分野で使われている
「エントロピー」という言葉があります
とても、有名な言葉で
私の身近にいる人たちも良く使っています
正直、私はこの言葉の意味をよく分かっていません(笑)
数字を言われた瞬間に、私はノンフローになります・・・
が、どうやら話を聞いていると
このエントロピーとは、神話を見ていると
天津神と国津神の関係性そのものなのだと、わかりました
数字で表記されると、まったく意味が分からないし
日本語とも思えないのですが
神話に置き換えてみると、すごくよく理解できました
そもそもエントロピーってなに?
「エントロピー」とは、熱力学における
方向性のある現象の度合いを「数値化」したものです
この「方向性のある現象」という言葉が、そもそも意味不明です(笑)
一度現象が起こると、一方向には進むものの
逆方向には戻らないという事をいうのだそうですが
分かりやすく言うと
一度放たれた矢が勝手に進路を変えることはないのと同じです
放たれた瞬間から、エネルギーが尽きるまで
一方向に飛び続けます
逆方向には飛びません
打ち返したりされない限り
打ち返した瞬間から、また
一方向に向かって飛び続ける
覆水盆に返らずのことわざも、同じことを言っています
花が枯れるのも同じです
人が年を取るのも、同じです
枯れる方に、年をとる方に
その一方向に向かって進み続けます
花を生けた瞬間はエントロピーが低い状態
日が経つにつれ、しおれていくにつれ
エントロピーが高くなる
枯れるという一方向に向かって進んでいく
で、エントロピーがMaxな状態の時
花は枯れているのです
人が年を取るのも
年を取るという一方向性に進み続けているという事です
無秩序を生むエントロピー
一方向に向かって進むという事は
人で言えば「好み」に偏るのと同じです
肉が好き!!という人が
ひたすら、肉を食べるという方向に進んでいったら
肥満、高血圧、糖尿病、ガン・・・
など、どんどん現象化していきます
また、勉強に集中する
という一方向にエネルギーが偏り始めると
その方向に向かえば向かうほど、成績が上がったり
志望校に合格したりと、現象化しますし
逆に勉強しないに偏り始めると
その方向性に向かえば向かうほど、比例して成績は下がります
人の思考にも、エントロピーの定義は当てはまります
そして、そんな偏りを持った人たちが集まれば
それらの人たちが好き勝手に動き始めるので
(エントロピーの増加)
その場は無秩序になります
それぞれが、自分の想い(偏り)を主張し始めるので
その場は混沌とします
そのカオスな場所に必要なモノ・・・
それは、「秩序(共通の方向性)」です
それがなければ、人は自分の想いをどんどん主張し始め
意見の相違を受け入れなくなり
この世は争いばかりになる
二人の人が同じ場所にいて
それぞれが、自分の想いを主張し続ける
=エントロピーが高くなる
これだと、いつまでたっても折り合いが付きません
だから、方向性、指針が必要になる
会社で言うと
自分が一生懸命やってきた案件に
他人が口を挟む
でも、自分も自分なりに考えてやってきた
ツッコんだ人も、自分の経験則から言っていたりもする
どっちもそれぞれの方向性から見たら
正しいのかもしれない
けど、自分の意見を通そうとすればするほど
相容れなくなる
どちらも、それぞれの価値観の中での「是」を説いているから
それぞれに、良くするために・・・
自分の想いをわかってほしいから・・・
と、主張すればするほど
逆にトラブルになったり、けんかしたり
そんな時、上司から
「これが、会社の方針だ。」という一言があれば
二人は「ハイ」というしかない
自分の・・・
は置いといて、お上の意向に従い
自分の最善を尽くす、協力する
人間関係のエントロピーが高くなると
無秩序になるが、そこに、上からの指針が来ることで
秩序が保たれ、物事は進んでいく
そして、進むという事は
その指針が指し示す方向に偏っていくという事なので
偏りが大きくなっていくと、また無秩序が生まれ
また、指針が降りてくる
そうやって、秩序と無秩序を行ったり来たりしながら
エントロピーが大きくなったり、小さくなったりしながら
まるで呼吸するかのように、現象は進んでいくのです
神話の中に見る無秩序と秩序
日本神話(ここでは古事記を取り上げます)の中で
最初にある無秩序は
天地の初めの時・・・
アメノミナカヌシが登場する前の状態です
何もない空間には秩序がなかった
混沌というエネルギーが漂っている状態
エネルギーは満ちているものの
何に使うのかという方向性はない
だから、何もない
そこに、アメノミナカヌシが誕生し、方向性が定まった
「神産み」が始まる
アメノミナカヌシ
タカミムスビ
カミムスビ
ウマシアシカビヒコヂ
アメノトコタチノカミ・・・
と続き、イザナギ・イザナミまで
どんどん神が生まれた
無秩序のエネルギー空間に
「神産み」という方向性・秩序が生まれたから
次の段階はイザナギとイザナミが
天の浮橋から天の沼矛を地上に下ろして
コオロコオロ・・・とかき混ぜ、オノゴロ島ができた時
ここから、「国生み」が始まる
地上も無秩序のエネルギーに満ちていた
そこに、イザナギイザナミによって、秩序が生まれ
「国生み」の方向性に進みだした
出雲の国譲りもそうです
国生みが終わり、たくさんの神と人が生まれてしばらくたった時
高天原から下界をのぞいてみると
葦原中国は大変騒がしく、手に負えない・・・という状態
つまり、無秩序です
出雲は、大国主により国としての秩序はあったのかもしれませんが
もっと広い目で見る、日本列島全体でみると
そこは、無秩序状態だったという事でしょうか
そこで、天孫降臨し、新しい秩序が生まれる
葦原中国はより大きな国として、進み始めた
次は神武東征でしょうか
そのころ、西の土地ではナガスネヒコが統治していたものの・・・
出雲と同じく、日本列島全体として見て
無秩序だったという事でしょう
そこで、神武天皇が天津神の導きを得ながら
東征し、神武王朝という新しい秩序を作った
天津神と国津神の役割の違い
お分かりでしょうか?
天津神は、秩序をもたらしている
国津神は、その秩序に乗って物事を進めていく
国津神が現実を動かしていくうちに
また、一つの方向性に偏っていく
矛盾が生じ
無秩序になる
だから、そのたびに、もっとよりよくするために
天津神が指針を示す
技術職が国津神
現場監督が天津神
そんな感じでしょうか
なので、天津神だけでも現実は動かない
国津神だけでも、バランスはとれなくなる
そういう関係性なのです
どちらが「エライ」とかではなく
「役割」の違いであって
その「役割」を無視してしまったら
その国は完全にカオスになってしまって
人も神も生きていけなくなってしまうのです
天津神も、国津神も、互いの「役割」を尊重して
同じ日本という国にす住み分けをしているという事でしょうか・・・
無秩序が悪いのでは無いのです
そこに、秩序がもたらされたときに、すぐに方向転換すればいい
秩序は無秩序から生まれ
無秩序は秩序から生まれる
私たちは、神話を読むことで
神様たちの営みから、自分と、その周りにいる人たちとの関係性を
学んでいけるのです
やはり古事記神話の謎は天皇礼賛だけではないいびつな構造をしているある種の正直さが心惹かれるのでしょう。
古事記神話の構造をザックリいうと高天原の2度の地上への介入がその構造の中心となっている。1度目はイザナギとイザナミがオノゴロ島を作り、国生み神生みを行い、次にイザナミのあとを継ぎスサノオが
根之堅洲国で帝王となる。第二の高天原の介入はアマテラスによる九州への天皇の始祖の派遣とそれに続く天皇を擁する日本の話でこれは今も続いている。
これらの2度の高天原の介入に挟まれた形で出雲神話がある。天皇の権威を高めるのに出雲があまり役に立たないのに古事記で大きく取り上げられている。その神話の構造の歪さに我々は心を惹かれる。
たとえば天皇も大国主も大刀(レガリア)の出どころはスサノオでありその権威の根源を知りたくなってしまう。そうなると島根県安来市あたりの観光をしてしまいたくなる。